Tomoru Oba
      大場 点        




古墳巡りの旅



■2010年6月22日、会社の帰りに八千代町にある秋葉山古墳へ寄ってみました。


 秋葉山古墳(写真左)は古墳時代後期の前方後円墳で、全長約45mです。北側には秋葉山神社が祭祀されています。明治24年に発掘調査されたとのこと、人骨2体の他、刀剣二口、槍一幹、小刀二口が出土したそうです。この古墳の西側には、尾崎前山遺跡製鉄炉跡(写真右)があります。九世紀の製鉄炉で、自然送風を利用した「竪型炉」とのこと、写真のような復元炉が据えられていました。


■2010年5月15日、レーヌの練習前に、市川にある弘法寺を訪れました。

 市川公民館の脇道が弘法寺への参道です。途中の蕎麦屋でざるをいただき、石段を一気に登ると立派な山門に出ます。山門をくぐって左手へ。目当ては弘法寺古墳。が、さてさて、やぶに被われていてどこが古墳なんだか・・・・。説明を読んでみると、「全長四十三メートルの前方後円墳で、築造年代は六世紀後半から七世紀前半と推定されています。台地の崩壊で現在は半壊状態に鳴っています。」 たしかに半壊、まさしく半壊、そりゃそうだ半壊。
 その他、石段中腹の泣き石(一個だけいつも濡れている!?)、文学の道にある宗左近の碑など見て帰還。






左:弘法寺古墳。藪の中です。盛り上がっている部分がいくつもあるので、どこが古墳だかわかりません。
中:弘法寺参道の石段にある泣き石。このひとつだけ濡れていて、コケが生えています。地下水の関係?
右:詩人・宗左近 作の市川賛歌「透明の蕊の蕊」の歌詞が、真間川のほとりに。


■2009年9月22日、友人3人と世田谷区にある等々力渓谷に行き、ついでに近辺の古墳を回ってきました。

◇野毛大塚古墳
 等々力渓谷の中程から団地を抜けたところに、古墳を中心にした公園が造られています。全長28メートル、帆立貝式の前方後円墳で、墳丘の周囲には馬蹄形の周濠が掘られています。周濠を含めた全長は約104メートルになります。関東地方の中期古墳文化を代表する、五世紀後半に築造された古墳だそうです。出土した多量の武器や武具類から、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることがわかるそうです。墳丘のてっぺんへは階段で上ることができます。

◇宝來山古墳
 等々力渓谷を下り多摩川へ出て、河川敷を1時間ほど下っていくと、元巨人軍多摩川グランドを抜け、多摩川台公園に出ます。この公園内には様々な古墳があり、宝來山古墳もそのひとつ。全長約97メートルの前方後円墳で、四世紀に築かれたこの地域最古の古墳だそうです。昭和9年に後円部が土取り工事で切り取られ、その際に銅鏡や玉類が出土し、古墳であることがわかったとか。
 公園内にはこのほか、亀甲山古墳などがあります。公園になっている高台を下ると、東急東横線の多摩川駅。


■自宅周辺にある古墳を紹介します。

◇金塚古墳
 国道6号線から手賀沼へ抜ける道沿いにあります。写真に写っているのは根戸城跡(16世紀後半)で、金塚古墳はさらに奥(西)約30mの所にあります。保護のため長い間道を通すことができなかったのですが、10年ほど前でしょうか、写真のような立体交差にすることで道が開通しました。直径約20mの円墳で、埴輪の他、石枕・立花・鉄製の短甲などが出土しています。


◇根戸船戸二号墳
 我孫子市白山中学校の南側に位置し、団地に囲まれた公園の中にあります。前方後円墳の変形と考えられていて、墳丘中央には横穴式石室を持っています。周辺からは須恵器や鉄器が発見され、7世紀末の古墳と考えられています。全長は約22m、高さは約1.6mです。


◇子の神古墳群
 我孫子市寿二丁目付近の手賀沼を見下ろす丘の上には、子の神古墳群と呼ばれる十四もの古墳があります(右写真)。このうち、四・五号墳(写真左)は、はっきりと墳丘がわかる円墳です。五号墳の周辺からは女性の埴輪が出土しており、六世紀後半のものと考えられています。また、この場所は小説家・瀧井孝作(1894−1948)が仮寓(仮住まい)をした場所でもあるそうです。


◇日立精機二号墳
 我孫子駅の少し手前の線路沿いに、かつて日立精機の工場があり、その敷地内にあった古墳です。横穴式石室をもつ前方後円墳で、墳丘の周囲には幅5mほどの濠が巡っています。石室や墳丘の特徴からみて7世紀のものと考えられています。現在は、マンションの一角に設けられた公園となっていて、写真右のような復元模型も造られています。

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